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​しんあいち歴史研究会

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道連れは友と歴史と好奇心!

私たちは、歴史に興味のある者が集う気楽なグループです。

春秋は、歴史の舞台となった現地にバスで行き、実際の歴史に思いを馳せます。

また、夏と冬は、名古屋で学習会を開いて、会員相互の研鑽を深める・・・。こんな活動を行っています。

まずは、ビジターとして当会の活動にご参加いただき、よろしければ、入会をお願いします。現在、会員募集中です。

 

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《「会誌97号」発行のお知らせ》

しんあいち歴史研究会では毎年度、3回会員相互の研鑽の場として会誌を発行しています。今回97号を6月下旬に発行しました。以下は会誌の表紙と目次になります。今回も興味あるテーマがそろいました。会誌は会員全員に配布されます。なお、会員以外の方の投稿も受け付けています。

     

                 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ☆令和8年11月研修会 

 

<紫香楽(の)宮跡&水口城    及び   周辺の寺と史跡を巡る>

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今回のテーマは、「紫香楽(の)宮跡&水口(みなくち)城(じょう)及び周辺の寺と史跡を巡る」にしました。

奈良時代中頃に、聖武天皇(701~756年)が造営した恭仁宮・難波の宮・紫香楽の宮など、短い間に都を次々と遷(うつ)し、「聖武天皇の彷徨(ほうこう)5年     (740年10月~745年5月まで)」といわれた時期、造営からわずか二年半という短命の都ながら、①紫香楽(の)宮跡 [今回行く国史蹟紫香楽の宮跡は宮殿跡ではなかった]は詔(みことのり)によって大仏  (盧舎那仏(るしゃなぶつ))造立がスタートした地として知られます。そして、将軍家光の上洛の際に宿所として築城された ④水口(みなくち)城&資料館、及び周辺の寺

②善水寺… 国宝の本堂と鑑賞価値のある多くの仏像を有し、最澄が桓武天皇の病気平癒にこの寺の霊水を献上して治癒したことから天皇より善水寺の号を賜った寺。11月は紅葉で有名。

③大池寺(だいちじ)…小堀遠州策と伝えられるサツキの大刈込で有名な寺。

そして陶芸の森に変えて⑤信楽焼の登り窯「宗陶苑」見学の史跡を巡ります。

〇内数字は行程順

《大岡(だいこう)寺(じ)は駐車場の関係で省いた。※多羅尾代官所跡も予定していたが方向・経路と時間の関係で省略》 

 

     記 

申し込み方法:

①下記申込書で事務局に事前手渡し

②はがき・メールで申し込み

※送付先 〒446-0044  

安城市百石町2-19-17

        山本京子  気付 

しんあいち歴史研究会事務局            

メールアドレス: kyoko.y.summer@gmail.com

(研修月日を忘れずに)

締切:    令和8年11月13日(木)  

資料印刷の関係上10日前とさせていただきます  

★昼食は、「宴所 やまりゅう」     <湖南市岩根中央二丁目 

 0748 72-0137>という所で“すき焼肉 小鍋セット”を予定しています。

☆自己都合により当日取りやめた場合は、後日2,000円を申し受けますのでご了承ください。

 ☆令和8年12月学習会

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 <銅鐸はなぜ消えたのか>

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現在、銅鐸は全国で約500件出土しています。弥生時代を通じて近畿地方を中心に広く普及していた銅鐸が、古墳時代以降、完全に姿を消してしまいます。『古事記』・『日本書紀』や『風土記』などの文献にもまったく記録は残されていない。記録だけでなく、銅鐸に関する伝承なども一切残されていません。まさに記憶も含めて完全に消されたという状況です。弥生人が篤く崇敬して止まなかった銅鐸がなぜ、突然消えてしまったのか? そこには日本の古代国家の成り立ちの秘密が隠されていました。その謎を解き明かします。

 

主な内容

1.謎に包まれた青銅器 銅鐸とは・・・銅鐸の概要

 

2.銅鐸の分布(県別分布)と分布状況から分かること

 

3.銅鐸の年代について・・・銅鐸はいつから作られたか

・弥生時代の年代区分、銅鐸の年代論

 

4.銅鐸の形式発展の状況・・・銅鐸は九州において発生した

・朝鮮式銅鐸→小銅鐸→銅鐸が銅鐸発生の流れ、近畿地域では朝鮮式銅鐸、小銅鐸の鋳型は出土していない

 

5.日本の青銅器の特殊性・・・日本の青銅器は大型化・祭祀化する

 

6.銅鐸は何に使われたていたのか・・・銅鐸は共同体の祭祀に使われた

 

7.誰が銅鐸を使っていたのか・・・銅鐸は物部氏と関係が深い

 

8.物部氏とはどのような氏族なのか・・・発祥の地は北部九州の遠賀川流域

・饒速日命(物部氏の祖先)が東遷したのはいつ頃なのか?

 

9.銅鐸はどのように広がったのか・・・出雲と北部九州のつながり

10.「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」に変化した訳は?

・「聞く銅鐸」と「見る銅鐸」は同じ所から出土することがない

 

11.銅鐸はなぜ埋められたか?・・・地中保管説は破綻した

・近畿式銅鐸だけが破壊された状態で出土する

 

12.銅鐸祭祀の終焉・・・銅鐸はなぜ消えたのか、なぜ完全に忘れられたのか

   

      (記)

 

開催日  

令和8年(2026年)12月13日(日)

場 所    

名古屋市中区金山1丁目5番1号

 日本特殊陶業市民会館 3F 

    第1会議室 

 時 間    

午前9時05分 開場

午前9時15分 開演  

午前11時55分 終了

 

会 費     

会員500円  ビジター500円

申込方法    

①事前に事務局に手渡し 

②事前に ハガキ、メール、TELLで申し込み

申込み先    

446-0044 安城市百石町2-19-7

         山本京子 気付 

しんあいち歴史研究会事務局

 メールアドレス kyoko.y.summer@gmail.com

 締 切    

資料印刷の関係上開催日10日前とさせて頂きます。

 

☆令和9年1月学習会

 

<どこがどう違う! 神社(神様)を系統別に分類してみた​>

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日本の神々は、八百(やお)万(よろず)と言われるほど多種多様であり、祭神については意外に記紀【古事記・日本書紀】 神話に登場しない神社【八幡神社〖応神天皇は後から習合  (融合)  して八幡神になった〛や天神社・白山社(菊理媛(くくりひめの)命(みこと)…日本書紀に一度だけ登場)など】が多くみられる。日本人が長く信仰してきた神々を取り上げ、それぞれの神を祀る神社についてその由緒や系統を調べてみた。

多神教(仏とも習合)の日本の場合、一神教のユダヤ教・キリスト教・イスラム教に比べて、一般的にはどの神を信仰しても、同時にいろんな神を崇拝したりしても、そして、ことわざで「苦しい時《困った時》の神頼み」とよく言われるように、必要とする時だけ神の加護とご利益を求めたりしても構わないという暗黙の   寛容(柔軟・又は曖昧)さが、いい意味で日本人の心に浸透して《生活に根付いて》います。今回の研修は信仰心とは関係なく、日本の神々について少しでも基本となる知識を得ていただくことを目的として、学習します。

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       記

日時:令和9年 (2027年)     

1 月24日(第4日曜)  

場所:金山 日本特殊陶業市民会館  第1会議室

時間:9時15分~11時40分終了 

参加費:500円

申し込み方法:

①下記申込書で事前手渡し

②はがき・メールで申し込み

※送付先 〒446-0044 

安城市百石町2-19-17

    山本京子 気付  

しんあいち歴史研究会事務局

メールアドレス:  kyoko.y.summer@gmail.com

(学習月日を忘れずに)

※申し込み締切日 資料印刷の関係上開催日の10日前、2027年1月14日(木)とさせていただきます。

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